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嵐山・嵯峨野を訪ねて

嵐山・嵯峨野を訪ねて

コース

嵐山 天龍寺 落柿舎 常寂光寺 二尊院 祇王寺 念仏寺(化野念仏寺) 大覚寺

所要時間 5~6時間

嵐山

嵐山

嵐山は天下一品の景勝地で、紅葉の名所としてもたいへん有名です。また、後嵯峨上皇が亀山殿に吉野桜を移植されてから、山は桜どころともなりました。

花鳥風月を賞で、詩歌管弦の船を浮かべる舟遊びも盛んに催されました。大堰川に架かる渡月橋を中心にして、橋のそばの、中の島公園・西の亀山公園・北東の臨川寺一帯をいう嵐山公園は、散歩道としてたいへん人気があります。

天龍寺

京都屈指の名寺の一つ

天龍寺

足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため夢窓国師を講じて延元4年(1339)に建立した、臨済宗天龍寺派の大本山です。

室町時代には京都五山の第一位を占め、塔頭150以上の規模を誇りましたが、度々の兵火に興亡を繰り返しました。

夢窓国師の当時をしのばせるのは、国師の作庭と伝わる大方丈の背後にある庭園で、嵐山と亀山の背景を巧みにとり入れた、曹源池を中心とする池泉回遊式です。法堂の天井には、加山又造筆の雲龍図が描かれています。

落柿舎

芭蕉・去来を通じて嵯峨野を見る

松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人、向井去来の閑居跡です。去来をしのび明治に入って再興されました。

茅葺き、平屋建ての小さな草庵、土間の荒壁にかけられた蓑と笠が、庵主在宅を伝えています。元禄4年(1691)、芭蕉はここに滞在し「嵯峨日記」を記しました。

今なお落柿舎を訪れる人々が俳句をしたため、嵯峨野に遊びます。落柿舎から北へ100mほど路傍には「去来」とだけ刻んだ向井去来の墓があります。

常寂光寺

芭蕉・去来を通じて嵯峨野を見る

茅葺きの小倉山の中腹、仁王門をくぐると、山の斜面に沿うように急な石段が本堂に向かってのびています。石段を覆うのは、青カエデあるいは紅葉のトンネルです。散りモミジの頃もまた格別の風情でしょう。

本堂の背後に立つ多宝塔は、元和6年(1620)に建てられたと伝えられており、均整のとれた美しい姿で知られています。当時の京の町衆が寺に寄進したと言われています。

二尊院

快慶作の2体の本尊を祀る

小倉山の東麓にあり、境内は紅葉の名所です。

伏見城の薬医門を移築した総門をくぐると、紅葉の馬場と呼ばれる広い参道になっています。本堂には釈迦如来と阿弥陀如来の二尊が安置されており、二尊院の名はここから名付けられています。

嵯峨天皇の勅願により承和年間(837~847)慈覚大師円仁が開山、その後、法然上人によって再興されました。山腹の墓地には、三条実美、角倉了以、板東妻三郎など有名人の墓が多くあります。

祇王寺

「平家物語」悲恋のヒロインゆかりの寺

祇王寺

「平家物語」に名高い白拍子、祇王ゆかりの寺です。平清盛の寵愛を受けていた祇王は、白拍子仏御前の出現によって捨てられます。捨てられた祇王は、母・妹とともに嵯峨野に庵を結び、尼となりました。後に仏御前も、祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしました。

祇王寺の一番の見どころは、美しい青竹や楓に覆われたその閑寂な佇まいでしょう。ことに、苔が敷きつめられた庭は、新緑の季節ともなると一面に目の覚めるような緑となります。苔の上に木漏れ日が差すさまは、言葉で言い表せない美しさです。

また、秋にはあでやかな紅葉に埋め尽くされ、わら葺きの庵と呼応して素晴らしい風情となります。

念仏寺(化野念仏寺)

無常感を漂わせる無縁仏の石仏群

小倉山の麓は化野と呼ばれ、古くは死者を風葬する地でありました。その北のはずれに、弘法大師空海が如来寺を建てて野ざらしの屍を弔ったのが草創です。のちに法然上人が念仏道場に改め、現在の寺名となりました。呼び名は化野念仏寺です。

現在の本堂・庫裏は、寂道和尚が正徳2年(1712)に再建したものです。明治の中頃になって化野に散在していた石仏・石塔が集められて、釈迦の説法を聞く人々の姿になぞらえて配置されました。その後、およそ8000体が肩を寄せ合うように並んでいます。

大覚寺

大沢の池、鮮やかな襖絵に王朝の雅を誇る

大覚寺

嵯峨天皇の離宮の跡を貞観18年(876)寺と改め、歴代の法親王が入寺したものです。江戸時代には嵯峨御所と呼ばれ、格式の高い門跡寺院として栄えました。

後水尾天皇が移築したと伝える旧寝殿造りを思わせる正寝殿など御所風の建物が、回廊によって結ばれています。狩野山楽筆の襖絵、狩野元信の障壁画など、重厚な文化財を所蔵しています。拝観者を迎える玄関の生け花がみごとで、秋には嵯峨菊が境内を飾ります。