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洛西・名刹めぐり

洛西・名刹めぐり

コース

金閣寺 龍安寺 御室仁和寺 等持院 妙心寺 大徳寺

所要時間 約6時間

金閣寺

北山文化の美を代表する“洛西の雄”

金閣寺

衣笠山を借景に、さん然と輝く金の楼閣。金閣は足利文化の頂点である北山文化の粋である。応永元年(1394)に将軍職を善持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に“北山殿”と呼ぶ別邸を造って隠棲した。ここに有名な北山文化が花と開いたのである。応永15年義満が没し、善持により禅刹に改められた北山殿は善満の法号にちなんで鹿苑寺と号するようになった。金閣寺の別名で知られる通り、寺の象徴は、金閣、鏡湖池に望む3層の楼閣で、初層は寝殿造の“法水院”、2層目は武家造りの“潮音洞”、第3層は唐風の“究竟頂”。

龍安寺

静寂に包まれて、石が描く小宇宙を堪能

龍安寺

石庭であまりにも有名な寺。室町時代の武将・細川勝元が宝徳2年(1450)に衣笠山麓にあった藤原氏の山荘を得て、妙心寺の義天玄承を開山として創建した創建当時のまま伝えるという大きな鏡容池を南にして、慶長11年(1606)建立の方丈をはじめ仏殿、庫裏、鐘楼などが建つ。竜安寺の石庭は、方丈の南にある。白砂を敷きつめた長方形の平庭を、柿葺き油土塀が3方を囲んでいる。白砂の上には15個の石。東から西へ、7・5・3の石組みを配し、わずかに石組のまわりを苔の緑が縁どる。簡潔な構成の枯山水は、海の景色を写し出そうとしたとも、親虎が虎の子を連れて大河を渡っている様子を表現しているとも解釈されている。俗名を、虎の子渡しの庭という。

御室仁和寺

お多福桜の咲く、由緒ある御室御所

宇多天皇が落飾の後に入寺して以来、約千年の間、法親王が住持についてきた。宇多天皇が御座所である御室を設けたことから“御室御所”ともいう。街道に沿って建つ朱塗りの仁王門の威容が、寺の格式を伝える。国宝の金堂は桃山時代の紫宸殿を移したもので、王朝の気品に満ちている。古唄に詠まれる御室の桜は中門の左手一帯に咲き匂う。高さ2m足らずの里桜で、お多福桜とも言う。花の盛りは遅くて4月下旬。

等持院

東西の庭園が美しい足利将軍家の菩提寺

足利将軍家の菩提寺で、堂内には足利尊氏以下12代の将軍の木像が並んでいます。書院の東にある西庭は芙蓉池を中心に衣笠山を借景にした回遊式の明るい庭で江戸時代の作。心字池を中心にした東庭は南北朝時代の様式に残しています。

妙心寺

天井に描かれた“八方にらみの龍”は圧巻

築地塀に包まれた広大な境内に、敷石の参道が延びる。南の勅使門より、山門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並び、浴場や経蔵などがひかえます。まさに禅宗七伽藍の風格。花園上皇が離宮荻原殿を改めて、開山慧玄を開山とする禅刹としたことに始まります。足利義満に弾圧され、応仁の乱に焼かれながらも臨済宗妙心寺派の本山として、細川氏ら戦国の武将、豊臣、徳川家の諸大名の帰依を受けて復興しました。法堂の鏡天井に描かれた狩野探幽の傑作“八方にらみの龍”、黄鏡調の音色で有名な日本最古の梵鏡など、見どころや話題も多く、本坊のうち公開されているのは法堂、明智光秀供養のために設けられた“明智風呂”と呼ばれる浴室です。

大徳寺

洛北随一の名刹

大徳寺

鎌倉末期の元応元年(1319)、禅林の双璧と称され大燈国師によって創建。臨済宗大徳寺派の大本山で、“本朝無双之禅苑”と呼ばれ、南禅寺と並んで“五山の上”という寺格を誇った時期もあった。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行ったことから、大名のつながりも強い。また千利休や小堀遠州らが山内に庵を結び、茶道との縁も深い。境内のほぼ中央に建つ勅使門をくぐると、朱色の唐様建築の三門がそびえる。“金毛閣”と呼ばれる門で、千利休によって完成。利休像を安置したことから、秀吉の怒りをかい、利休は切腹を命じられた。三門からは、仏殿、法堂、庫裏、方丈が南北一直線上に建ち、典型的な禅宗伽藍を示す。寛永13年(1636)京都の豪商後藤益勝の造営した方丈や聚楽第の遺構と伝える唐門は国宝、本坊は非公開。松並木が石畳に緑の影を落とす境内には21院の塔頭寺が。うち通常公開しているのは4院。